1. HOME
  2. リフォームお役立ち情報
  3. 母の笑顔と木造校舎の思い出

マルキンリフォーム

感謝に想いを込めて

リフォームお役立ち情報

母の笑顔と木造校舎の思い出

シロアリの道

 私が小学生のころ、バナナはとても高価でした。パイナップルなんて到底よその国の架空の果物。卵は四間道路の乾物屋さんで、バラでもみ殻に守られていました。
そうそう、豆腐も大きなステンレスの四角い器の中で浮いているものを、とうふやのおばさんが手慣れた手つきですくって容器に納め渡してくれました、今と比べ値段はどうだったのか覚えていません。
サンダル屋さんでは、母の日に、貯めたお小遣いでつっかけを買ってプレゼントしました。
夕食後、母がちょっと席を外している間に食器洗いなどもやったりして、それはもちろん自然の振舞でしたが、今から思うと五男坊で末っ子の私は母親に取り入るのがうまかったのかもしれません。いや、お母さんが喜ぶ笑顔を見たかった、がその頃の本音でしょう。あの笑顔は生涯忘れません。しかし、外できかんぼうして、母が先生に呼び出された事もありました、そんな時はすごく悲しい気持ちになりました。

先生の小言を聞きに仕方なく母が向かう磯子小学校は、明治6年創立、来年で150周年です。
私が通っていた校舎は大正9年に建てられ、昭和13年に改築された木造2階建てでした。
外壁は日本下見板張り、一面に連なる窓もサッシなどではなく木製建具、廊下や階段、教室の床も板、土間の昇降口に木製すのこ、そこで上履きに履き替え土足を置く下駄箱も木製です。
教室や廊下の床の掃除は、ご存じ濡れた雑巾を四角く折って両手を据え、お尻を高く上げてゴム底の上履きで木の床を蹴って走り雑巾がけです。スカートの女の子はパンツ丸見えだったり。
手の平をたたきながらの「パン・ツー・マル・ミエ」は過去のもの、
その貴重な校舎も昭和52年で終止符をうちました。
現代にそれがあったなら、なんとレトロで素敵な校舎だと感じることでしょう。
縁あって、山口県萩市に親戚ができて、初めて萩を訪ねた際に観光した「萩・明倫学舎」は私にとってあの頃にタイムスリップさせてくれました。そのような感情の時、なぜか人間は胸が熱くなり涙腺が緩むものです。

木造で少し気になる事があります。白アリです、当時の校舎はその被害にあっていなかったのでしょうか。自分たちではなかなか気付きませんが、ちょっとしたところに非常に細かい木くずの塊があったり、外の基礎のところに蟻道(地蜘蛛の巣とよく似ているが、地蜘蛛のものは柔らかいが蟻道は固い)があったりしたら被害の可能性があります。
その際は、白アリ業者にみてもらうことをお勧めします。
具体的なものがなくても、安心するために見てもらっても良いかも
しれません。業者は責任をもって私がご紹介いたします。

関連記事