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金五ブログ

負の高校一年生

野球とバスケット

 この原稿を書いているのは2024年10月8日、火曜日。世間では、大谷・山本のドジャース対ダルビッシュ・松井のパドレスの地区シリーズが1勝1敗で明日の3戦目をむかえる雨模様の少し寒い夜半です。大谷翔平、私がこの世にあるなかで、こんな日本人大リーガー(私の若い頃はメジャーリーグの事を大リーグと呼んでいた。)を見られるとは、なんて幸せなんだろう。と痛感します。こんな野球選手、この先も永久に現れないのではないでしょうか。とにかく彼の活躍で日本中が明るく幸福になります。
そしてまた奥さんがいい。二人のツーショット写真や動画が心底可愛い、「コレ イズ ソー・キュート(THIS IS SO CUTE))」です。彼女、女子プロバスケットボールリーグで私が以前からファンの富士通レッドウェーブ(川崎)で活躍していた女性、日本代表の町田や篠塚の同僚です。なにより、女優やアナウンサーや、どこかのご令嬢などよりも大谷に相応しいような気がします。
例外なく、このお便りにもショーヘイネタに触れてしまいました。大谷選手は小さい頃からの目標(そう、それは夢でなく目標なんだ)に対して自分に甘えることなく邁進してきたのだろう。そしてそれは世界一の選手になった今も変わることなく、飽くなき挑戦として貪欲に楽しく続いているように見える。しかしながら愕然とする、あの目標達成シート(マンダラチャート)を活用していたのはたった高校生のころだ、、、。

自分の高校生活を振り返ると、小学校・中学校時代には、マブダチがたくさんいて、野球が楽しくて、プロ野球選手になるものと思っていた。共学で甘酸っぱい恋も覚え始めた。
高校(日大高校)に進むと、そこは男子校、登校して学校内に入るとなんだか真っ黒の世界、いろんな奴がいて、こう見えても繊細な部分のある俺はその空気に馴染めなかった。
そんな頃の朝、日吉の駅から学校へ向かって歩く、校舎が見えてくると背中全体に電流が流れるようなビリビリ感に襲われる。とても辛い。校舎に入りたくない。
次の日は、そんな状況を避けて、桜木町から乗車した東横線で日吉で降りずに渋谷まで、乗車したまま折り返した電車はまた桜木町に、その往復を繰り返して、昼近くになると山下公園で弁当を喰って時間をつぶし、適当な時間になると学校の部室に入り、ユニフォームに着替えて、グランド(野球グランドは学校と少し離れていた)で授業を終えた同僚を待つ。そんな暗い高校1年1学期の生活を送っていた。出席日数が足りなくて、このままだと進級が難しいと言われていた。
救われたのは、生涯忘れられない野球部監督の言葉、「金五、お前は野球だけやっていればいいぞ、進級や卒業、進学は俺が何とかするから心配するな」、、。春の大会でベンチにもいれてくれた。3年生が引退し、夏休みが終わったころ、徐々に校舎内の空気にもなれてきて、やがて普通に通えるようになった。そんな時の辛さは自分にしか分からない、という事が分かった。
前章との人間力の差は明らかだ、そして今からが私の人生のスタートだ、と真剣に思っている。いい経験、そうでない過去、全てを自分の糧にして、一人前になれるようにがんばります。
森山監督の命日には毎年新宿で墓参りをしています。

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