祝新入学・新社会人
増本君に会いたい、、、。
明治6年5月創立の我が母校磯子小学校は、今年(令和5年)の5月で150周年を迎えます。
昭和41年入学の私は、ちょうど100周年を迎える年に卒業しました。
あれから半世紀、長かったような、あっという間のような。
その頃の私は、勉強嫌いで下校するとランドセルを玄関先に放り投げて、走って遊びにいくタイプでした。授業の時に先生に指されても答えられないで叱られ、いざ体育になると、先生と一緒に見本を見せていました。しかし意味なく積極的で、ある授業の際に佐藤先生が出した質問に大きく手を挙げ、他の生徒が指された瞬間に「チェッ」と言ってしまい、「根建、今のは何だ、前に出て来い。」先生の前に立った途端平手打ち、席に戻り半べそをかきました。鮮明な記憶です。
運動会では毎年リレーの選手に選ばれました、が、6年生の時にはある伏兵に敗れ選手を逃しました。その年の騎馬戦では一騎打ちの勝ち抜き戦に残りましたが、決勝で佐久間に負けましたし、長距離走では、序盤の数周は断トツのトップを走っていながら、残りわずかで体力が切れてゴボウ抜きにされた散々でみっともない小学校最後の運動会でした。
同級生の中で少し体格が大きかったので、「ガキ大将」でした。
そんな僕の仲のいい仲間でありながら、ガキ大将的ライバルに海藤がいました。
こいつは生意気ですがいい奴です。卒業の日、先生から6年2組全員に頂いた1人ひとりへの言葉に、
「海藤は、ずっと友達にしていたい人だ。」と僕と同じ事を言われたのは忘れられません。
そんな、俺らが4年生の頃、ある男子が転校してきました。
そいつはいかにも体格が大きくて、兄貴っぽい風体に眼光が鋭い奴でした。
海藤と俺は、暗黙のうちに少し違和感を抱いていました。
ある日の昇降口、俺らのそんな匂いに気付いていた増本の尖った目と目が合った瞬間に取っ組み合いになり、瞬時に‘ボコボコ‘にやられました。強いのなんのって、まったく相手にさせてもらえませんでした。
それからの彼を見ていると、少し体の弱い同級生にとても優しく手助けをしたりと、
「弱きを助け強きを挫く」の代表選手です。
海藤は私立中学、増本は卒業の前に転校し、二人との縁もそれから途絶えてしまいました。
50歳になるころ、年に2度ほど6年2組の仲間4、5人と会食するようになり、回を追う毎にメンバーが増え、海藤の所在も探しあて、その会に来た時には、見た目も、ヤンチャで明るい人思いのキャラクターもまったく変わっていませんでした。嬉しい。
その集いが回数を追い、増本を招きたい思いがつのり、やっと今の彼の事を知っている方を探し当てました。
その方から、還暦を迎える前に他界したことを聞きました。
大阪で中華料理店を営んでいたそうです。
今現在、奴がこの会に参加してくれたら、どんな雰囲気で会えただろう。
新入生、新社会人の皆さん、あなた達もいずれ還暦を迎えます。
その時に、語れる思い出や友人をたくさん作ってください。
楽しいことばかりではありません、むしろ辛く厳しいことが後になって心に残り自分の肥やしになるはずです。とにかく自分を大切にしてください。