目標にならなければ
子供の頃、誰もが「あこがれ」を抱いている。人それぞれ違う人物だったり、別の分野で。
野球少年の私は、当然野球界にその憧れがありました。
マルキンリフォームの工事でお世話になっている大工さんのOM氏、その仕事ぶりを見ていると、彼のそれは自分の父親(お父さん)であったにちがいない。
野口聡一(宇宙飛行士)・藤井聡太(将棋士)・荒井里桜(ヴァイオリニスト)・宮里藍(ゴルファー)・孫正義(実業家)・学校の先生・看護師・パティシエ・囲碁将棋(漫才師)・・・
憧れる存在は人それぞれです。「憧れ」=まさに、「童(子どもたち)の心」
子供たちの憧れは、やがて目標になり、目標は努力を促す。そして「努力は人を裏切らない」、とは言わないが、、だって報われない時もあるから、しかし無駄にはならない、だって努力をしなければ目標に向かう権利も与えられないから、あるいは道を変えた際にも費やした時間が自信となっている。
あの大谷翔平は、松井秀喜とダルビッシュ有に憧れた結果の二刀流。
プロ野球界で鉄人と言われた衣笠祥雄が残したインタビューに心打たれた。
『スポーツって誰に向けてしているんですか? (インタビュアー:子供たちの為ですか)、そう、それを忘れちゃダメなんです。
スポーツの選手はいつも子供の手本でなきゃダメなんです。将来、大きくなって、あんな人のようになりたい、だからがんばるんだと、思ってくれるようなプレーヤーでなきゃいけないんですよ。子供たちが見て、正しいと思ってくれる道しか歩いちゃダメなんです。
それを大人が今、忘れてますよ。』
これを聞いて感じた事は、全ての世界に、大人に当てはまる。
子供たちに恥ずかしくない大人でなければいけない。憧れを抱かれるような人間でありたい。
私自身、この言葉を意識しながら、明日もまた現場の後片付けと掃除をやります。
子供たちの見本となるべく。