消防団員 金五が行く
父親の経営する会社(実際には祖父と伯父と父)の屋台骨である木造倉庫が全焼した。
私が小学3年生の時、家で同じ年のいとこと勉強していたときに、外で誰かの「火事だっ!」の声が聞こえました。その時は気にせずそのまま勉強を続けていました。
しかし、直ぐに母親の「外に出なさい」の指示があり勝手口から飛び出しました。
なんと、家の目の前の倉庫から火の手が上がっていて、黒い煙がすごい勢いで立ちのぼっているのです。幼いながらも、「これは大変だ、」と恐怖で体が震えました。
ちょうど現在の当社事務所の前の路地に避難しました。
そこでは、大人たちによるバケツリレーで、近隣の木造家屋に水をかけていました。
集まった群衆の先頭で家族と火事の様子を見ていた私は震えが止まりません。
あの倉庫は、おじいちゃんがツタや麻袋を加工貯蔵していた倉庫。
父が若い頃から一生懸命に働き汗を流した倉庫。
自分がツタの洗い場の水溜め場をプール代わりにして水遊びした倉庫。
麻袋の束を跳び箱代わりにして友達と競った倉庫。
そのとき、お父さんが燃え上がっている倉庫に向かって突然走りだした。
消防の人に羽交い絞めにされ引き止められましたが、それに抵抗して
なおも倉庫めがけて突進しようとしています。数人の方のおかげで
父に事故が起こらないで済みました。
父にはそれほど思い入れのある倉庫だったのです。私は大泣きしました。
10歳の子供にはとてもセンセーショナルでショックな出来事だった
のです。
「地域のお手伝いをしなさい」、父が息子達5人によく言っていました。
私が28歳の時に父は他界しました、65歳でした。
それからというもの、父の言葉がどこかに引っかかっていました。30歳を過ぎたころから少しづつそれを実行に移していきました。地元の町内祭りの際のお神輿や模擬店のお手伝いなどを始めました。
そんな時、ある方から「消防団」のお誘いをいただきました。その瞬間、あの時の事を思い出しました。あのような火事を出し、ご近所に多大なご迷惑をお掛けした、その倉庫の責任者の息子が5人もいる。一人くらいはお詫びを込めてそのような活動をしてもよいのでは、いやしなくてはいけないのだ。消防団に入団したきっかけです。
消防団、その後の話は別号で書かせていただきます。